・古文書
【巻物 796巻】
【冊子本 368冊】
【書状 1025通】
【地図等 10鋪】
【折本 21帖】
【掛軸 5幅】
【落款等 11顆】
【『類聚国史』(巻第一、巻第五)】
・国指定史跡
【松花堂及びその跡】
「松花堂弁当」の名の由来となった草庵の跡地です。
瀧本坊の住職であった松花堂昭乗が泉坊に移って隠棲し、泉坊の一角に方丈の草庵を結び「松花堂」と称し営みました。
松花堂と泉坊の客殿は、明治初年の「神仏分離」後も男山に残っていましたが、1874年頃に京都府知事から「山内の坊舎は早々に撤却せよ」と言われ、当時の住職が山麓の大谷治麿氏に売却し、破却されずに残りました。
その後、幾度かの移築を経て、現在の松花堂庭園は1977年に八幡市の所有となり管理運営されています。
【石清水八幡宮境内】
創始当初から廃仏毀釈まで神仏習合の宮寺の形態をとり、境内には寺院施設、社僧の坊が多数設けられていたそうです。
八幡市教育委員会による発掘調査によって、護国寺跡や坊舎跡などの遺構が良好に残っていることが確認されています。
平成24年1月24日付で官報告示がなされ、石清水八幡宮境内が国の史跡として指定されました。
・神像
【木造童形神坐像(4躯)】
平成3年3月に境内の校倉の中から、古神像8躯が発見されました。
この倉の奥には、もともと古い釣灯篭の残骸などが積み上げられていましたが、この下から大小20数個の木片がバラバラの状態で見つかり、この木片を組み合わせたところ、いずれも桧材・彩色仕上げで、高さは大きいもので47.5cm、小さいものは約17cm、髪をミズラ(左右に分けた髪を両耳上で束ね垂れ下げた形)に結い、袍(上着)を着て帯を締めた童形の男神像が5躯、唐服をまとった美しいお顔立ちの女神像が2躯、僧侶のお姿のものが1躯、合わせて8躯の神像が現れたそうです。
どの像にも手足の一部に欠失が認められましたが、これは神像としての役目を終え、すでに魂を抜かれた状態であることを示すため、人為的に施されたものと推測されているそうです。
発見された古神像8躯のうち、平安時代末から鎌倉中期にかけて製作されたと見られる男神像4躯が、「木造童形神坐像」として平成18年6月に国の重要文化財に指定されました。(他の4躯は京都府指定文化財) |