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【本殿・幣殿及び舞殿・摂社武内社本殿】
本殿は859年に木工寮権允である橘良基が、清和天皇の勅命により六宇の宝殿を建立し、順次「八幡造り(はちまんづくり)」の社殿を完成させて行きました。
以来、造営を14度、修理が17度行われ、現在の社殿は1634年に徳川三代将軍家光公の修造によるものだそうです。
桁行12間の内殿と外殿を前後に並べて複合されている社殿建築様式で、現存する同形式のものの中では最古、最大規模の八幡造りの本殿となります。
桧皮葺屋根の軒が接するところに織田信長公寄進の「黄金の樋」が架けられており、天災などの有事が起こった際には、この「黄金の雨樋」を換金し対処にあたるようにとの伝承があります。
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【瑞籬】
本殿を囲む瑞籬には、壮麗な社殿を象徴する極彩色の欄間彫刻が150点以上も施されており、江戸期の名工である左甚五郎一派の作と伝えられています。
なかでも「かまきり」や「りすとぶどう」「目貫きの猿(めぬきのさる)」など珍しい彫刻もあり、廻廊の内側では壮麗な瑞籬の動植物たちが見るものを圧倒し、楽しませます。
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【楼門】
楼門正面の蟇股部分に一対の向かい合う鳩の錺金具(かざりかなぐ)があり、向かって右側の鳩は少し口を開けています。
狛犬と同様に神使である鳩が、阿吽の呼吸で御神前をお守りしています。
また、その双鳩の少し上に極彩色で龍虎の欄間彫刻が施されています。
四方を守護する四神は南に朱雀、東に青龍、西に白虎、北に玄武の配置なのですが、この龍虎の彫刻は東に虎、西に龍と反対の配置となっています。
これは、御祭神を祀る位置と順番に合わせて逆に配置されているとも、現在の社殿を修造した徳川家光公の生まれ年が辰年であり、家光公が尊崇した徳川家康公は虎年生まれであるため、自分の干支が尊敬する家康公の干支よりも上位(=東、下位=西)の位置にならないように家光公が配慮したともいわれています。
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【東門】
四脚門の東面に庇を設けた形式の切妻造、本瓦葺の門です。
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【西門】
四脚門の東面に庇を設けた形式の切妻造、本瓦葺の門です。
蟇股部分に「目貫きの猿」と呼ばれる、琵琶の木にぶらさがり木の実をくわえる一匹の猿の彫刻があります。
この猿は一説には名工である左甚五郎の作といわれ、出来が良すぎるため猿に魂が宿り、夜になると蟇股から抜け出して山麓の畑を荒らしたそうです。
困った百姓たちに相談され、かわいそうだが抜け出せないようにと猿の右目に釘が打ちつけられ、それ以降猿の悪さがなくなった、という逸話が残っています。
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【廻廊3棟】
楼門から東門まで、楼門から西門までと、両門から北へ背面にコの字型に廻した、入母屋造、本瓦葺の廻廊です。