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【本坊表門(重要文化財)】
御所庭園に入るときに通る門で、1596~1615年頃に建立されました。
本坊表門は一間薬医門で、禁中の御台所門を移した来たものと伝えられています。
木割の太く、雄大な意匠が施されています。
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【南庭】
宸殿の南側にあることから南庭と呼ばれている庭園です。
庭内には左近の桜と右近の橘が、その前方には松と杉が植えられ、白砂が敷き詰められています。
簡素でありながらも趣のある庭となっていて、白書院の縁側に座って眺める人も多くいます(^-^)
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【白書院】
1887年に仁和寺御殿が焼失したため、仮宸殿として1890年に宸殿南庭の西側に建てられ、その後に宸殿等の諸建造物が再建されると「白書院」と呼ばれるようになりました。
白書院の襖絵は1937年に福永晴帆画伯によって、部屋全体に四季折々の松の絵が描かれています。
松の幹が部屋の中心に力強く描かれていて、金・緑・白色が松をより引き立て豪華に感じます(*´▽`*)
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【御所庭園回廊】
白書院と黒書院、宸殿、霊明殿を結ぶ渡り廊下です。
趣の異なる南庭と北庭の二つの庭園が見事で、往時の面影が随所に残されています。
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【宸殿】
御所庭園の中で最も重要な建物で、儀式や式典に使用されます。
御所庭園の中心建物で、寛永年間に御所から下賜された常御殿がその役割を果たしていましたが、1887年に焼失したため、現在の建物1914年に竣工されました。
御所の紫宸殿と同様に檜皮葺、入母屋造で、内部は西から東に向けて、上段の間、中段の間、下段の間の三室によって構成され、東端には車寄が設けられています。
絵画はすべて、1913年に原在泉画伯によって描かれたもので、上段の間の床には「遠山流水」襖には春の「桜花」、その裏面の中段の間側には、夏の「葵祭之図」が、他方には秋の「大堰川三船之図」、下段の間の襖には、冬の「鷹野行幸図(大阪・交野)」が描かれています。
内部と外部ともに、門跡寺院に相応しい優雅な意匠になっています(*‘ω‘ *)
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【北庭】
宸殿の北側にあることから北庭と呼ばれ、南庭とは対照的な池泉式の雅な庭園です。
庭の制作年は不明となっていますが、1690年には加来道意が、明治〜大正期には七代目小川治兵衛によって整備され現在に至ります。
斜面を利用した滝組に池泉、築山には飛濤亭が配置され、その奥には中門や五重塔を望む事が出来る仁和寺随一の絶景スポットです(≧▽≦)
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【飛濤亭(重要文化財)】
北庭の築山にある入母屋造・茅葺の屋根で覆われた茶室です。
内部は四畳半に台目がついた茶室と水屋の間、勝手の間で構成されていて、入口は躙口のかわりに貴人口が設けられ、壁には長いすさが散らされて落ち着いた雰囲気が漂います。
仁和寺第28世深仁法親王(1759〜1807)の異母弟にあたる、第119代光格天皇(1771〜1840)が愛した茶室と伝えられています。
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【霊明殿】
仁和寺歴代門跡の位牌が祀られている御所庭園内の唯一の仏堂です。
亀岡末吉の設計によって、仁和寺の院家だった喜多(北)院の本尊である薬師如来坐像を安置する為に1911年に宸殿の北東に建立されました。
内部は正面に須弥壇が置かれ、小組の格天井をはじめ、蟇股の組物などの細部に至るまで見事な出来栄えになっています。
薬師如来坐像は秘仏のため実態が不明でしたが、1988年の調査で貴重なものであることがわかり、1989年6月に国宝に指定されました(^_^)
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【遼廓亭(重要文化財)(非公開)】
霊明殿西側にある建物で、仁和寺門前堅町より移築されたものです。
内部は二畳半台目の茶室、四畳半の水屋と広間、控えの間・勝手の間で構成されていて、葺下し屋根の下に袖壁が付けられ、その中に躙口が開いています。
また、壁は黒に近い錆壁や長いすさが散らされる所など、全体の意匠が織田有楽斎の好みの「如庵」とも似ています。
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【黒書院】
1887年に御殿の焼失復旧のため、京都の花園にあった旧安井門跡の寝殿の遺構を宸殿の西側に移して、黒書院として安田時秀が設計して改造したもので、1909年に完成しました。
裏には竹の間があり、表は柳の間、松の間、秋草の間と上段の間によって構成されています。
襖絵は1931年に宇多天皇1000年・弘法大師1100年御忌の記念事業として、堂本印象画伯によって描かれたもので、墨の濃淡によって質感が描写されて存在感があります(^o^)