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【本丸御殿】
阪神淡路大震災により生じた構造の歪みを修理し、今後も文化財として安全に活用するために、耐震補強を施すため、2017年(平成29年度)から本丸御殿の保存修理工事に着手しています。
2023年(令和5年)度に保存修理工事が完了する予定です。
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【歴史】
本丸は城の中心部にあり、内堀で守られた区域です。3代将軍・徳川家光が、1626年(寛永3年)に後水尾天皇行幸を迎えるため、城の区域を西側に拡げ、新たに築きました。その際、本丸内に御殿が建てられましたが、1788年(天明8年)の大火で焼失しました。幕末には、15代将軍・徳川慶喜が御殿を建てましたが、1881年(明治14年)頃に取壊されています。
現存する本丸御殿は、桂宮家が京都御所の北(今出川御門内)に建てた御殿の主要部を、1894年(明治27年)に明治天皇の意向により移築したものです。当時は、二条城が天皇家の別荘である離宮として利用されていました。
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【玄関】
本丸御殿の正面入口である、大きな唐破風付きの車寄は、来客の公式な入り口に相応しい格調を持ちます。
お客様は、奥の建物に通されるまで、この建物で控えていました。
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【御常御殿】
政務を行うための御座の間、政務を離れたあと休息するための御寝の間等からなる日常を過ごす建物で、座敷飾の構成や蚊帳釣金具、障壁画等の意匠の随所に特徴が表れています。2階は、くつろいだ数寄屋風の意匠が施され、広々とした庭園が一望できます。
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【御書院】
公式な対面所である中書院、来客の控所である小書院(四季の間)等からなる接客を目的とした建物で、床や違棚、障壁画等の意匠の随所に特徴が表れています。中書院三の間は、あげると能舞台に使えるように工夫がされており、公家の接客に能が密接に関わっていたことが分かります。
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【台所及び雁の間】
台所は吹き抜けになっており、梁上に束と貫を組んだ力強い小屋組を見せます。雁の間には、雁がはばたく様子が描かれた障壁画があります。
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【本丸御殿の障壁画】(御常御殿障壁画、狩野永岳筆《松鶴図》)