二条城
二条城
にじょうじょう
【特別名勝 二の丸庭園】
1603年(慶長8年)の築城時に作られ、1626年(寛永3年)に作事奉公・小堀遠州のもとで改修された庭園です。
この時期の城郭には、居住のための御殿と共に豪華な庭園が作られました。
二条城の他には名勝名古屋城二の丸庭園、名勝和歌山城西之丸庭園、名勝旧徳島城表御殿庭園が残っていますが、いずれも火災等で御殿が失われているため、二条城は御殿と庭を一体的に観賞することができる我が国で唯一の事例です。
この庭園は、公的な領域である大広間の西面、将軍に近しい人々の対面所として用いられた黒書院の南面に位置します。
かつて後水尾天皇の接遇の為に設けられた行幸御殿が園池の南側に建てられ、庭園の四方は回廊と建物で囲まれた状態にありました。
行幸の後、御殿は移築されると同時に、将軍家による利用が減じて荒廃しましたが明治以降にソテツを含む植栽の整理・補植が行われました。
【本丸庭園】
1896年(明治29年)に明治天皇の指示により作られた庭園です。
天皇は本丸御殿の最上階から指示を出され、それは植栽にまで及ぶものだったとの記録があります。
この場所には、かつて2つの建物が建てられていました。1626年(寛永3年)、3代将軍徳川家光が建てた本丸御殿と、それが焼失した後、幕末に15代将軍慶喜が建てた建物です。
慶喜が建てた建物は1881年(明治14年)頃に取り壊され、1893~94年(明治26~27年)に京都御所の北東部にあった桂宮御殿の主要部分が移築されました。これが現在の本丸御殿です。
移築時には、いったん庭が作られていますが、明治天皇の指示によって、すぐに改造されました。
【清流園】
1965年(昭和40年)に京都市が迎賓施設として作った庭園です。
西半分は和風で2棟の建物(和楽庵・香雲亭)が建てられています。東半分は洋風で芝生が敷き詰められています。
建築部材、庭石、樹木の多くは京都の豪商・角倉家の屋敷跡から譲り受けたものです。
角倉家は江戸時代前期に、角倉了以が運河として高瀬川を整備するなど、京都の発展に大きな影響を与えた商家です。
清流園南の園路沿いには曲がりくねった樹形が特徴的な「しだれえんじゅ」が植えられ、7~8月には白い蝶型の花をつけます。
また、春には桜が楽しめます。