
二条城

二条城
にじょうじょう
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【1601年(慶長6年)】 徳川家康が西日本の諸大名に二条城の築城を課す。 【1603年(慶長8年)】 二条城完成。(現在の二の丸部分) 家康初めて入城。 【1611年(慶長16年)】 家康が豊臣秀頼と会見。 【1614年(慶長19年・元和元年)】 城内で大阪冬の陣・夏の陣の軍議を開き、当城より出陣。 【1624年(寛永元年)】 3代将軍家光、城の拡張・殿舎の整備に着手。 【1626年(寛永3年)】 本丸・二の丸・天守閣完成。現在の規模となる。 9月、後水尾天皇二条城行幸(5日間)。 【1634年(寛永11年)】 家光、30万人ともいわれる大軍を率いて入城。 【1750年(寛延3年)】 8月、雷火により五層の天守閣消失。 【1788年(天明8年)】 1月、市中の大火により本丸御殿などが焼失。 【1863年(文久3年)】 14代将軍家茂入城。 (3代将軍家光が入城して以来の入城) 【1866年(慶応2年)】 城内において慶喜15代目の将軍職を継ぐ。 【1867年(慶応3年)】 10月、二の丸御殿大広間に在京諸藩の重臣をあつめ、慶喜が大政奉還の意思を表明した。 【1868年(明治元年)】 1月、城内に太政官代を置く。 (現在の内閣にあたる) 【1871年(明治4年)】 二の丸御殿に府庁を置く。 (にち一時陸軍省になる) 【1884年(明治17年)】 皇室の別邸、「二条離宮」となる。 【1893年(明治26年)】 京都御所の北東にあった桂宮御殿を本丸に移築し、本丸御殿とする。 翌年完了。 【1915年(大正4年)】 大正天皇即位の大典が行られ大饗宴場を造営(現清流園の位置)。 南門ができる。 【1939年(昭和14年)】 宮内省が二条離宮を京都市に下賜。 【1940年(昭和15年)】 2月11日恩賜元離宮二条城として一般公開をはじめる。 【1952年(昭和27年)】 文化財保護法の制定により、二の丸御殿6棟が国宝に、東大手門など22棟の建物が重要文化財に指定される。 【1953年(昭和28年)】 二の丸庭園が特別名勝に指定される。 【1965年(昭和40年)】 清流園造成。 【1982年(昭和57年)】 二の丸御殿の障壁画が重要文化財に指定される。 【1994年(平成6年)】 ユネスコ世界文化遺産に登録される。 【2005年(平成17年)】 築城400年記念 展示・収蔵館 開館。 【2011年(平成23年)】 二条城本格修理事業に着手。 |