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【逸話その一】
頼光四天王の筆頭として知られる渡辺綱は、一条戻橋の上で美女に声をかけられます。
美女は送ってくれと言いますが、途中で鬼女の姿に変わって渡辺綱の髻を取って空を飛びます。
渡辺綱は腕を切り落として難を逃れ、鬼女は愛宕山に去って行きます。
渡辺綱は安倍晴明を呼んで相談します。
物忌を勧められ、鬼の腕に封印しました。
その後、鬼女は渡辺綱の母の姿で腕をとり戻しに来ますが、渡辺綱は仁王経によって救われます。
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【逸話その二】
三井寺の智輿が病で死にかけた時、安倍晴明が「誰か身代わりになるものはいないか」と尋ねると、弟子の証空が自分の命を差し出すと言います。
安倍晴明が泰山府君の方を執り行うと、智輿に生気が戻りますが証空が苦しみだします。
しかし、日ごろ信心していた不動妙に助けられて、2人とも命を取り留めました。
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【逸話その三】
安倍晴明の屋敷に老僧が10歳くらいの童2人を連れ、安倍晴明の陰陽道について習いたいとやって来ました。
しかし、この老僧が連れていた2人は童ではなく、童に見せかけた式神でした。
安倍晴明は、呪を用いて式神を隠すと老僧から「どうして人の共を隠すのか」と問われ、「私を試そうとしたからだ」と諭します。
しばらくして童の2人が現れ、「式神など隠せるとは」と老僧は安倍晴明に弟子入りを乞いました。
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【逸話その四】
花山帝がどんな治療を施しても治らない頭痛で苦しんでいました。
そこで安倍晴明が、「帝の前世は尊い行者であるが、前世の髏髑が大峰で、岩と岩の間にはさまっているために、頭痛がする」と言います。
「髏髑を取り出したら治る」と言われ、その通りにしたところ、頭痛が治られたといいます。
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【逸話その五】
安倍晴明が広沢の僧正の御坊に参って話している間に、他の貴族から「式神をお使いになるなら、人を殺せますか」と言われます。
「生かす方法を知らぬのでたやすく殺せぬ」と安倍晴明が言うと、「蛙を殺してみよ」と貴族が言います。
そこで安倍晴明が草の葉を投げると、蛙はまったいらにひしゃげてしまいました。
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【逸話その六】
花山院は冷泉院の第一皇子として天皇の位につかれ、小野の宮の娘を女御とされました。
入内されて弘微殿の女御と申しあげましたが、ほどなく女御がなくなり、帝は悲しまれた。
花山院は在位わずか2年で出家されました。
出家された夜、安倍晴明の屋敷の前を通られると、安倍晴明は「帝座の星に兆しを見、帝が譲位なさる」と声をあげたと言います。
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【逸話その七】
藤原道長が法成寺を建立した後、御堂へ参る時にいつも白い犬を連れていました。
ある日何時ものように門に入ろうとしている時、この犬が立ち塞がるように吠え、車から降りて入ろうとすると、御衣の裾をくわえて引き留めます。
安倍晴明が呼ばれて占うと、「道に呪いのものが埋めてある」と言い、掘ってみると素焼きの土器を2つに合わせて十文字に束ねて括られています。
調べると道満の仕業でした。
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【逸話その八】
藤原道長が物忌みの時、観修僧正、清明公、医者の丹波忠明、武士の源義家の4人がお仕えしていました。
奈良から早瓜が献上されましたが、安倍晴明が占ったところ、その中の1個に毒があるといいます。
観修が祈祷をすると、瓜はゆらゆら動きました。
忠明は毒をぬくようにいわれたので二か所に針を刺し、義家が刀で割ると小蛇がとぐろを巻き針は蛇の目に命中していました。
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【逸話その九】
安倍晴明の好敵手として知られているのが蘆屋道満です。
安倍晴明と道満は、何れの法力が優れているかを競い合いました。
夏蜜柑十六個を長持の中に入れて蓋をして、中を言いあてるというものです。
道満が夏蜜柑であるというと、安倍晴明は鼠が16匹と言います。
皆が安倍晴明敗れたりと思い中をあけると、術の力で、中は鼠にかえられていました。
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【逸話その十】
安倍晴明は実在の人物ですが、化生の者であるという伝説があります。
「簠簋抄(ほきしょう)」によると、安倍晴明の母親は、和泉国信太の森の狐であると言います。
母親は安倍晴明が幼い頃、狐の姿を見られたために、和歌を遺して行方をくらましてしまいます。
その後、安倍晴明は信太の森を訪れて母と再会します。