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【文殊堂】
智恩寺の本堂である文殊堂は西国札所成相寺と共にひろく知られ、室町将軍家も訪れていましたし、近世になると巡礼の人たちでも賑わいました。
格子の間から中を拝することもでき、内陣厨子には重要文化財で本尊の騎獅文殊菩薩坐像と、その両側に従っている善財童子(ぜんざいどうじ)と優闐王(うでんおう)が祀られています。
文殊像は如意をもって獅子の上の蓮華座上に安座し、善財童子は経箱を捧げて立ち、優闐王は獅子の首につけた鎖を持っています。
また創建以来何度か修復が行われましたが、内陣中央の四本柱は腐っておらず「草創之本柱」であると記され、正和3年(1314)や文永7年(1270)という鎌倉時代除の年号を示す墨書が見つかりました。
歴史の長さが感じられますね(*^-^*)
外陣の壁には様々な絵馬が掲げられていて、文殊堂によせる信仰の深さが伝わってきます。
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【多宝塔(重要文化財)】
上重の柱の墨書きには丹後国守護代で府中城主延永修理進春信によって建立され、1501年に落成したことが記されています。
市内で唯一の中世建築遺構、国指定重要文化財建造物で、丹後地方には残存する古建築が極めて少ない中で、創建の事情や年代が明らかな大変貴重な建造物です。
下重には来迎柱が立ち、前方の須弥壇には大日如来が安置されています。
左右に大きく広がる上重の屋根は柿葺で、上重と下重をつなぐ小さな漆喰の亀腹など古風な美しさがありますね。
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【三門(宮津市指定文化財)】
上層には釈迦如来や十六羅漢が安置され、下層の柱間には建具が無い開放的な造りの二重門で、細部まで本格的な唐様(禅宗様)の三門として丹後地方最大です。
8780人の大工によって7年に及ぶ工事を経て1767年9月に上棟され、再建にあたって後桜町天皇から黄金を下賜されたことによって「黄金閣」と称されています。
その名前に恥じない豪壮な佇まいで、見ていると圧倒されてしまいます(゜o゜)
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【鐘楼門(暁雲閣)】
宮津の商家木村正英が2人の子女を相次いで亡くされて、菩提を弔うために1722年に建立し、2人の法名「暁山彗察」「洞雲自照」から「暁雲閣」とも呼ばれています。
木村正英の子供たちへの愛がひしひしと伝わってきますね。
下層は両側に亀腹が付いた竜宮門形式で、寄棟造、桟瓦葺の屋根は軽く起(むく)りを帯び、上層は再建の経緯を記した銘額「暁雲閣記」が揚げられています。
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【方丈】
1841年に再建された東西24m、南北16mの丹後地方では最大級の標準的禅宗方丈様式の建物です。
屋根小屋組は天橋立の松材を使用したと伝えられ、軸部と内装はすべて節無しの総檜作りです。
方丈とは寺の長老、住職の居室のことです。
※未公開の建物です
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【庫裏】
1799年に再建された東西15m、南北20m、棟高10mの丹後地方では数少ない本格的な禅宗様庫裡建築で、この地方では最大の規模のものです。
庫裏とは僧侶の居住する場所のことで、寺の事務を扱う寺務所と兼用となっているところもあります。
※未公開の建物です
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【鐘楼】
本堂東側の暁雲閣に天文年間鋳造の梵鐘が掛けられていましたが、嘉永年間にさらに大口径の物を改鋳したものを、1881年に建立された現在の鐘楼に移転されました。
現在の梵鐘は1973年に再改鋳されたもので、風雅な音色を境内に響かせています。
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【無相堂】
<扶桑名勝図 享保11年(1726)に記載あり>
文殊堂の西側に面してある、高壮な宝珠形四面入母屋の建造物であり、位牌堂兼集会場として使用されていました。
門前部落(文珠地区)の繁栄と信仰の深さがしのばれたため、平成14年9月19日古材を出来得る限りそのまま使用して、当時の姿に復元されました。
現在は西国三十三カ所霊場仏殿及び在家仏殿としてあり、多目的に使用されています。特に毎月第二水曜日に開かれる「ほっこりスペース無相堂」は、あらゆる人の悩みなどを相談できる場所となっています(*^^*)