《天照大神》
日本書紀によると、お生まれになった時、「光華明彩(ひかりうるわ)しくして、六合(くに)の内に照り徹る」と称えられ、この上なく輝かしい存在として、また神々の世界を治める日の神としても伝えられています。
ご利益は、国土安泰、五穀豊穣、生命力向上などあらゆることに神徳を発揮されます。
伝承によれば、第10代崇神天皇39年(西暦紀元前59年)に、「別に大宮地を求めて鎮め祭れ」との皇大神の御教えに従い、永遠にお祀りする聖地を求め、それまでお祀りされていた倭笠縫邑(現奈良県桜井市三輪)をお出になったといわれます。まず最初に但波(丹波)へお遷りなり、その由緒により皇大神社が創建されたと伝えられています。皇大神は、当地に4年お祀りの後、さらに諸所を経て、垂仁天皇26年(西暦紀元前4年)に、伊勢の五十鈴川上の聖地(今の伊勢神宮)にお鎮まりになりました。こうしたことから皇大神社は伊勢神宮内宮の元の宮として、「元伊勢内宮」あるいは「元伊勢皇大神宮」「大神宮さん」などと呼ばれ、今も庶民の篤い信仰が続いています。